「可哀想に、で終わらせんでください」被爆80年の魂の叫び。IT技術者にできる記憶の継承とは。

筆:櫻田 泰憲

2025年8月。私のデスクに、同僚の全国レポーターmikuから分厚い取材データが届いた。出張先は広島。彼女が酷暑のなか記録してきた「被爆80年 平和記念式典」のレポートだ。ITエンジニアである私への依頼は、いつも通り「データの整理と分析」。だが、モニターに映し出される文字と写真を追ううちに、私はいつものように冷静ではいられなくなった。

蝉の声、鐘の音、そして静寂。データの中にあった「みなさんの心の中で生き返る」という一節が、私の胸に突き刺さって離れない。これは、単なる追悼の言葉ではない。80年という歳月を経て、我々一人ひとりに突きつけられた、あまりにも重い「問い」そのものではないか。

私はWebライターでもある。このmikuの生々しい記録と、そこから溢れ出す感情を、ただのデータとして処理することは許されない。60年生きてきた一人の男として、そして技術者として、この「問い」にどう向き合うべきか。これは、その格闘の記録である。

この記事を読んでわかる事

被爆80年式典の、報道では伝わらない「現場の空気感」。
「心の中で生き返る」という言葉が持つ、本当の意味と重み。
60歳のIT技術者が見た、「記憶の継承」という課題への向き合い方。
平和を「祈る」だけでなく、自ら「創る」ために我々ができること。

「静かすぎる」式典と、核抑止という名の茶番

mikuのメモには、こうある。

「とにかく静かだった。スピーチの声と蝉の声以外、何も聞こえない。その静寂が、かえって80年前の阿鼻叫喚を想像させて、恐ろしかった」。

私も北海道の田舎町、羅臼の出身だから分かるが、自然の音しかしない静けさというのは、時として人間の心を裸にする。平和記念公園を埋め尽くした数万の人々が、何を思ってあの黙とうを捧げたのか。その光景を想像するだけで、胸が締め付けられる。

式典で、広島市の松井市長は今年も力強く「核抑止論からの脱却」を訴えたという。全くもってその通りだ。「核があるから平和が保たれる」などという理屈は、システムエンジニアの視点から言わせてもらえば、致命的なバグを抱えたまま稼働している欠陥システムに他ならない。いつか必ず、たった一つの誤作動でシステム全体がクラッシュし、全てが破滅する。そんなことは、少し考えれば分かる理屈のはずだ。

しかし、現実はどうだ。世界を見渡せば、その「欠陥システム」に莫大な予算をつぎ込み、自国の安全を委ねている国々ばかりではないか。式典に参列した各国の代表者たちは、この広島の祈りを、一体どんな思いで聞いていたのだろうか。その腹の内を思うと、私はやりきれない怒りを感じる。彼らにとって、この式典は平和への誓いの場なのか、それとも自国の政策を正当化するためのアリバイ作りに過ぎないのか。

形だけの出席はいらない!この参列者の中に、何人が本当の平和を求めているのだろう

魂の叫び。「心の中で生き返る」は、決して慰めの言葉ではない

今回のテーマである「みなさんの心の中で生き返る」という言葉。 これは、美しい追悼の詩ではない。私は、これは亡くなった数十万の魂からの「要求」だと解釈している。

mikuが取材した、ある被爆者の方の言葉が忘れられない。

「『可哀想に』で終わらせんでください。わしらがなぜ、あんな目に遭わにゃならんかったのか。そのことを、あんたたちの世代が考え抜いてくれにゃ、わしらは浮かばれんのよ」。

これだ。これこそが、あの言葉の真意だ。 彼らは、同情してほしいわけじゃない。自分たちが経験した地獄を、自分たちの苦しみを、単なる悲劇の物語として消費されることを、何よりも恐れているのだ。 「心の中で生き返る」とは、「私たちの苦しみを追体験し、なぜそれが起きたのかを考え、二度と繰り返さないための具体的な行動を起こせ」という、世代を超えた魂の命令なのだ。

この言葉の重みを理解した時、私は身震いがした。生半可な気持ちで「平和が大事ですね」などと、口が裂けても言えない。我々は、彼らの無念を、苦しみを、そして未来への切なる願いを、自らの血肉として引き受けなければならない。そう、これは「責任」の話なのだ。

IT技術者として、父親として。「記憶の継承」という名の闘い

では、その責任をどう果たすのか。 被爆者の平均年齢は85歳を超えた。直接、話を聞ける時間は、もうほとんど残されていない。風化との闘いは、ここからが本番だ。

mikuのデータには、近年進んでいるというデジタルアーカイブの取り組みも記されていた。AIによる証言の再現、VRによる被爆体験。素晴らしい試みだと思う。ITエンジニアとして、こうした技術が記憶の継承に貢献できることは、大きな希望だ。

だが、私は同時に強い危機感も覚える。 技術は、あくまでツールだ。どんなにリアルなVRを作っても、どんなに賢いAIを開発しても、それを受け取る我々人間に「魂」がなければ、それはただの精巧な見世物で終わってしまう。大切なのは、そのデジタルデータの向こう側にある、人間の痛みや温もりを想像する力だ。

私にもは甥っ子がいる。彼らの世代は、戦争を肌で知る人間が一人もいなくなる時代を生きることになる。その時、広島や長崎の出来事は、教科書の上の、無味乾燥な文字列になってしまうのではないか。

そうさせないために、我々大人が何をすべきか。 技術者として、私はもっとやれることがあるはずだ。単にデータを保存するだけではない。そのデータが持つ「意味」や「文脈」を、どうすれば次の世代の心に直接届けられるのか。対話を生み、議論を巻き起こすようなプラットフォームを構築できないか。エンジニアとしての私の頭脳が、今、猛烈な勢いで回転し始めている。これは、私の仕事なのだと。

mikuがまとめてくれた、この年表を見てほしい。

年代 出来事 概要
1945年8月6日 原子爆弾投下 午前8時15分、広島市に世界で初めて原子爆弾が投下される。
1949年5月 広島平和記念都市建設法 広島市を平和記念都市として建設することを目的として公布・施行。
1952年8月6日 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)除幕 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文が刻まれる。
1955年8月6日 第1回原水爆禁止世界大会 広島市で初めて開催。核兵器廃絶を求める国際的な運動の起点となる。
1996年12月 原爆ドーム、世界遺産に登録 ユネスコの世界文化遺産に登録され、人類全体の負の遺産として保存されることに。
2016年5月27日 オバマ米大統領(当時)の広島訪問 現職のアメリカ大統領として初めて広島平和記念公園を訪問し、献花。
2022年2月 ロシアによるウクライナ侵攻 ロシアが核兵器の使用を示唆し、世界の核軍縮の機運に深刻な影響を与える。
2025年8月6日 被爆80年

核兵器の非人道性が改めて問われる中、記憶の継承が大きな課題となる。

出典: 広島市公式ウェブサイト

広島平和記念資料館ウェブサイト等の公開情報を基にmikuが作成

このタイムラインを見ると、平和への歩みがいかに脆弱で、危機と隣り合わせだったかが分かる。そして今、我々は再び、重大な岐路に立たされているのだ。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

広島被爆80年という節目は、単なる過去の記念日ではない。それは、この記事を読んでいる「あなた」に、未来への責任を突きつける、現在進行形の出来事だ。

【分かったこと】 mikuの取材データを通して分かったのは、

広島の祈りが、80年経った今もなお、切実な「叫び」であり続けているという事実だ。

「平和」という言葉の裏にある、想像を絶する人々の苦しみと、それでも未来を信じようとした強い意志。それが、広島の根底には流れている。

【考えるべきこと】 では、我々はどうするか。 平和を誰かが与えてくれるのを待つのか。それとも、自らの手で創り出す努力をするのか。 「心の中で生き返る」という言葉を、あなたはこれからどう受け止めるだろうか。被爆者の魂を、あなたの心の中で本当に「生き返らせる」ために、明日から具体的に何ができるだろうか。近所の人とこの話題について話すことか、関連書籍を一冊読んでみることか、あるいは子どもに自分の言葉で伝えてみることか。

行動なき祈りは、自己満足に過ぎない。 私は、このmikuのデータと私の分析を、単なる記事で終わらせるつもりはない。技術者として、そして一人の人間として、私にできる行動を始める。まずは、社内の若手エンジニアを集めて、このテーマで勉強会を開くことからだ。

それが、私の「応答」だ。

最後に、この貴重な記録を託してくれた同僚のmikuに、心からの感謝を捧げたい。ありがとう。君のデータは、私の中で確かに「生き返った」。

参考にした記事:80年前に原爆が投下された8時15分 広島で黙禱

筆:櫻田 泰憲

レポート:miku

関連サイト:

https://sensou-heiwa.xyz/sensou-heiwa

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