走行距離課税は本当に必要?地方に広がる負担増の真実と政府の検討状況

夕日の中、長い一本道を走る乗用車。「走行距離課税は必要か?」という青い文字が書かれている。

桜田泰憲(webライター、石油関係会社システム担当)

https://digital.asahi.com/articles/AST8Q44VZT8QULFA00TM.html?iref=comtop_7_01

先日、同僚のmiku(全国レポーター)から「これ、どう思います?」と手渡された資料を見て、複雑な気持ちになった。走行距離課税の検討に関する資料だった。私は北海道羅臼町出身で、現在は石油関係会社でシステム担当をしている。車がなければ生活できない地方の現実を知っているし、同時にシステムエンジニアとして、この制度の技術的な問題点も見えてしまう。

ただし、最初に明確にしておきたいのは、走行距離課税の導入は決まっていないということだ。一部で「2025年4月から導入」という誤情報が拡散されているが、日本ファクトチェックセンターでも確認されているとおり、これは事実ではない。

この記事を読んでわかる事

  • 走行距離課税の現在の検討状況と政府の公式見解
  • 燃料税収減少の実態と背景
  • 海外の走行距離課税の実際の制度内容
  • 導入された場合の家計への影響試算
  • 技術的課題と監視社会化のリスク
  • 現実的な代替案の検討

現在の検討状況:政府は「具体的検討はしていない」

まず事実を整理しよう。2022年10月26日の政府税制調査会の総会で、走行距離に応じた課税について検討が必要だという意見が出ているが、2022年11月25日の衆議院予算委員会で岸田文雄前首相は「政府としてこうした具体的な検討をしているということはございません」と答弁している。

さらに重要なのは、2024年12月20日に与党が公表した「令和7年度税制改正大綱」では、自動車関係諸税について「公平・中立・簡素な課税のあり方について中長期的な視点から、車体課税・燃料課税を含め総合的に検討し、見直しを行う」という表現に止まっており、走行距離課税の導入について具体的には書かれていない。

つまり、現時点では「検討課題の一つ」という段階で、制度設計も導入時期も決まっていない。

燃料税収減少の現実:数兆円規模の財源不足

とはいえ、政府がこの議論を始めた背景には深刻な問題がある。燃料課税収入は確実に減少傾向にある。経済産業省の統計によると、現在のガソリン税は1リットルあたり53.8円(揮発油税48.6円+地方揮発油税5.2円)が課税されている。軽油引取税は1リットルあたり32.1円(全国一律)となっている。

電動車の普及は着実に進んでおり、日本自動車販売協会連合会(自販連)のデータによると、2023年の国内電動車販売比率は暦年初で5割超を記録した。ただし、この「電動車」にはハイブリッド車(HV)が大部分を占めており、純粋なEVの普及率は2023年は1.66%、2024年は1.35%と低水準にとどまっている。この傾向が続けば、道路整備や維持管理の財源不足は深刻化する。

ここは私もシステムエンジニアとして認める。データは明確に財源問題の深刻さを示している。

海外事例の実態:日本とは大きく異なる制度

海外の事例を正確に把握することが重要だ。

ニュージーランドニュージーランド交通局(Waka Kotahi)が運営するRUC制度では、世界で最も早く走行距離課税(RUC: Road User Charges)を導入したが、対象は税金がかけられていないディーゼル車や、総重量が3.5トンを超える大型車両。つまり、全ての乗用車が対象ではない。

アメリカ・オレゴン州オレゴン州運輸局のOReGOプログラムでは1マイル(約1.6km)あたり1.9セント課税している。ただし、これは1.6kmで約3円という計算になる。

ドイツ:現時点では7.5トン以上の大型トラックに限定し走行距離課税が行われている。

つまり、海外では限定的な導入が多く、「全ての車両を対象にした包括的な走行距離課税」は世界的にも珍しい制度になる可能性が高い。

家計への影響試算:地方ほど負担が重い

では、もし導入されたらどうなるか。海外事例を参考に試算してみよう(これはあくまで仮定の話だ)。

年間負担額変化の試算

ドライバータイプ年間走行距離現行負担額(概算)1km=3円の場合の差額1km=5円の場合の差額
地方営業職20,000km約10万円+50,000円+90,000円
郊外主婦(軽自動車)10,000km約4万円+20,000円+40,000円
都心週末利用3,000km約5万円-1,000円+10,000円
EVユーザー15,000km約3万円+15,000円+45,000円

注:現行負担額は自動車税、重量税、ガソリン税の概算。税率は海外事例から推定した仮定値であり、正式な制度設計は決定していない

この表を見ると明らかだが、地方で車を多く使わざるを得ない人ほど負担が重くなる。これは制度設計上避けられない構造的問題だ。

技術的課題:システム担当者から見た現実

システム担当として、技術面の課題も指摘しておきたい。

データ収集の方法:GPSに基づく距離計測は、走行距離をより正確かつ公正に把握できるため、改ざんや不正のリスクを大幅に減少させられる一方、GPSによるデータ収集には、個人情報保護への配慮が必要となる。

全国約8000万台の車両からリアルタイムでデータを収集・処理するシステムの構築は、相当な技術的ハードルとコストを伴う。私のシステム開発経験から言えば、これは簡単な話ではない。

最新の政治情勢:暫定税率廃止への動き

ここで重要な変化がある。2024年12月11日に自民・公明・国民民主の3党が、ガソリン税の暫定税率(1リットルあたり25.1円)の廃止に合意した。ただし、具体的な実施時期は決まっておらず、令和8年度の税制改正に盛り込まれる見込みとなっている。

これは50年間続いてきた制度の大きな転換点となる可能性がある。暫定税率が廃止されれば、ガソリン価格は1リットルあたり約25円下がることになる。

この動きは走行距離課税の議論にも影響を与えるはずだ。既存の燃料税を下げる方向性が示されたなら、新たな課税制度への必要性も見直されるかもしれない。

代替案の検討:より公平な財源確保策

走行距離課税以外の選択肢も考える必要がある:

  1. 炭素税の本格導入:CO2排出量に応じた課税で環境政策と財源確保を両立
  2. 法人税の道路利用負担金:企業の物流利用に応じた負担
  3. デジタル課税:プラットフォーム企業への新たな課税

これらの代替案にもそれぞれ課題はあるが、地域格差を生まない公平な制度設計が可能だ。

国民の声と業界の動向

JAF(日本自動車連盟)の2024年アンケート調査結果によると、走行距離課税やモーター出力課税の議論について知っていた人は33.3%にとどまっている。また、「これ以上、自動車ユーザーの負担が増えないようにすべき」を選択した人は72.5%に達している。

一方、日本自動車工業会(自工会)は走行税について断固反対の立場を表明しており、業界として慎重な議論を求めている。

我々が今すべきこと

  1. 正確な情報の把握:SNSの不正確な情報に惑わされず、政府の公式発表を確認する
  2. 建設的な議論参加:感情論ではなく、データに基づいた意見交換
  3. 代替案の提示:単純な反対だけでなく、現実的な解決策を考える

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

走行距離課税は現時点では「検討課題」の段階であり、導入は決定していない。しかし、燃料税収の減少という財源問題は現実に存在する。

重要なのは、この問題を地方vs都市、車利用者vs非利用者という対立構造で捉えるのではなく、社会全体でどう持続可能な交通インフラを維持するかという視点で考えることだ。

北海道出身の私としては、地方の交通事情に配慮した制度設計が絶対に必要だと思う。しかし同時に、道路インフラの維持財源も確保しなければならない。この両立を図る知恵が、今の我々に求められている。

技術者としても、情報発信者としても、この問題について冷静で建設的な議論を続けていきたい。

📚 さらに詳しい情報を知りたい方へ


【謝辞】この記事作成にあたり、全国レポーターmiku氏の情報提供と、信頼できる各種Webサイトの詳細な報道に深謝いたします。また、データ整理に協力してくれた石油関係会社の同僚たちにも感謝します。

この記事について

執筆者:櫻田 泰憲
→ プロフィール詳細

企画・取材:miku
→ プロフィール詳細


この記事は、ITコンサルティングを専門とする株式会社リミブレイクが運営するメディアとして、独自の取材と分析に基づき制作されました。

13年ぶりに「反省」復活 石破首相が戦没者追悼式で放った一言の重み

全国戦没者追悼式で、総理大臣が式辞を述べている。背景には菊の祭壇と日の丸がある。「13年ぶり「反省」復活」という文字が入っている

8月15日、終戦の日。また今年もやってきた。日本武道館での全国戦没者追悼式。毎年同じような式辞が続いていたが、今年は違った。

石破茂首相がやりやがった。

あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません

13年ぶりだ。2012年の野田佳彦以来、誰も使わなかった「反省」という言葉を、石破がついに復活させた。

正直、俺は複雑な気持ちだ。60歳のwebライターとして、これまで散々政治記事を書いてきたが、この一言の復活がどれだけの意味を持つか、痛いほど分かる。

※今回の記事は朝日新聞の記事を参考にして書かせてもらった。

https://www.asahi.com/articles/AST8H3CCTT8HUTFK016M.html

この記事で分かること

なぜ「反省」という言葉がそんなに重要なのか

安倍さんがこの言葉を嫌った理由

石破がなぜ今、復活させたのか

これから何が起きるのか

まず、この13年間何が起きていたのか

事実だけ整理しよう。

1994年から2012年まで、歴代首相は戦没者追悼式で「反省」や「深い反省」という言葉を使い続けてきた。村山富市が1994年に始めた流れだった。

ところが2013年、安倍晋三首相がこの言葉をバッサリ切った。代わりに「来し方を思い、しばし瞑目し、静かに頭を垂れたい」なんて回りくどい表現に変えやがった。

それから12年間、菅義偉岸田文雄も、誰もこの言葉を使わなかった。まるで禁句扱いだった。

そして昨日、石破茂首相が復活させた。

安倍さんはなぜ「反省」を嫌ったのか

これは推測だが、安倍さんの「戦後レジームからの脱却」という思想と密接に関係していたと思う。

俺が羅臼で生まれ育った頃、まだ戦争の話をする大人たちがいた。祖父は満州から引き揚げてきた人で、「戦争だけはダメだ」が口癖だった。でも同時に「いつまで謝り続けるんだ」とも言っていた。

安倍晋三さんも似たような気持ちだったのかもしれない。

2013年8月15日の式辞を読み返すと、「反省」の代わりに「謙虚に向き合い」という表現になっている。微妙な違いだが、政治の世界では大きな意味を持つ。

中国や韓国がこの変化に敏感に反応したのも事実だ。ただし、具体的にどんな抗議があったかは、当時の報道を詳しく調べ直さないと正確なことは言えない。

なぜ石破は復活させたのか

毎日新聞の報道によると、石破茂首相周辺は「式辞の中で石破茂首相が力を入れた部分だ」と説明したという。

俺の推測だが、理由はいくつか考えられる。

まず、石破の政治的立場。彼は昔から安倍路線とは違う考えを持っていた。歴史認識についても、もう少しリベラルな立場だ。

次に、外交的な計算。特に韓国との関係はボロボロのままだ。北朝鮮問題もある。アメリカから「日韓関係をなんとかしろ」と言われてるかもしれない。

そして戦後80年という節目。このタイミングで何かメッセージを出したかったんだろう。

ただし、これらは全部俺の推測だ。石破茂首相本人に直接聞いたわけじゃない。

実際の反応はどうだった?

昨日の式典後、メディアは一斉に「13年ぶりの復活」として報じた。

国内の反応は分かれるだろう。安倍支持者からは「また自虐史観に戻るのか」という批判が出るはずだ。一方で、リベラル系からは「やっと戻った」という評価もあるだろう。

海外の反応はまだ分からない。韓国や中国の政府が何か声明を出すかもしれないが、現時点では確認できていない。

俺が思うこと

webライターとして20年以上政治を見てきて思うのは、言葉ってのは本当に重いということだ。

反省」という一言で、外交関係が劇的に改善するとは思わない。でも、悪化することを防ぐ効果はあるかもしれない。

俺の故郷の羅臼は、ロシアとの国境に近い町だ。戦争の話はまだ生々しく残っている。そういう場所で育った人間として言わせてもらうと、戦争の記憶を軽く扱ってほしくない。

ただし、いつまでも謝り続けるのも違うと思う。大事なのは、過去を忘れずに、でも未来に向かって歩くことだ。

石破茂首相がこの言葉を復活させたのが正解かどうかは、これからの行動を見ないと分からない。言葉だけでは何も変わらない。

これからどうなるのか

正直言って、よく分からない。

石破茂首相は戦後80年談話を出すかもしれないし、出さないかもしれない。中国や韓国がどう反応するかも読めない。

一つ言えるのは、この「反省」復活が単なる言葉遊びで終わってはいけないということだ。本当に平和を維持したいなら、具体的な外交努力が必要だ。

俺たち有権者も、政治家の言葉に踊らされず、しっかりと行動を監視していかなければならない。

戦争を知らない世代が8割を超えた今、過去の教訓をどう伝えていくかは本当に難しい問題だ。でも、だからこそ真剣に考えなければならない。

祖父の「戦争だけはダメだ」という言葉を思い出しながら、俺はこれからも政治を見続けていくつもりだ。


参考にした主な情報源

主要参考資料

この記事は2025年8月16日朝に書いている。昨日の式典を見て、思うところがあって急いで書いた。事実関係は可能な限り確認したが、分析や感想については俺個人の見解だ。

筆:桜田 泰憲

リミブレイク

日航機墜落事故から39年。「御巣鷹の守り人」が変えた、憎しみと断絶の物語

朝日が差し込む霧深い山道を、つるはしを持ちながら険しい表情で歩く、帽子を被った年老いた鉱夫

同僚のmiku(レポーター)から「これ、すごい話なんですよ」と渡された資料を読んで、正直言って胸が詰まった。日航機墜落事故から39年。毎年8月12日になると、JAL社員が土下座し、遺族が無言で通り過ぎる—そんな光景が続いているという話は知っていた。でも、その間に「御巣鷹の守り人」と呼ばれた一人の男性がいたなんて、恥ずかしながら全く知らなかった。

これからこの記事について、俺自身の考えや感情などを書いていくのだが、この記事は朝日新聞さんの以下の記事を読んで、そして事前にこの事件について現地へ飛んだ miku からのレポートを元に書かせていただいたことを、予め書いておきます。

朝日新聞記事

https://digital.asahi.com/articles/AST7Y3SQ4T7YUTIL00RM.html?iref=comtop_7_01

この記事を読んでわかる事

日航機事故後39年間続く「断絶」の実態

堀内邦夫さんという地元男性の驚くべき献身

憎しみから共存へ変化した人間関係の真実

企業と被害者家族の間に生まれた「声なき対話」

60歳になって思うのは、人と人の間に横たわる溝というのは、時間だけでは埋まらないということだ。特に、これほど深い傷を負った関係では尚更である。

私が衝撃を受けた「断絶」の現実

mikuの取材ノートによると、毎年8月12日の登山口での光景は、想像以上に生々しいものだった。

JAL社員が新品のスーツを泥で汚しながら土下座する。一方で遺族は一瞥もくれずに通り過ぎる。この光景を初めて知った時、私は思わず

これは辛すぎるだろう

と声に出してしまった。

なぜこんなことになったのか。答えは明確だ。1985年8月12日、JAL123便墜落事故—単発の航空機事故としては世界最大の犠牲者520名を出した人災だったからだ。

JAL123便墜落事故事故調査報告書を改めて読み直してみると、原因は7年前のボーイング社による圧力隔壁の不適切な修理。しかし、その後の点検でJALがこの欠陥を発見できなかった事実も重い。これは明らかに「防げた事故」だった。

私がITエンジニアとして20年以上システムの保守・運用に携わってきた経験で言えば、このような見落としは「人災」以外の何物でもない。システムの不具合を放置した結果、致命的な障害が発生するのと全く同じ構造だ。

一人の男性が変えた40年間の歴史

※この先に登場する人物名は、個人情報保護と安全を確保するために全て(仮名)で書かせていただくことをご承知おき頂きたい。

ここで登場するのが、堀内邊夫さん(事故当時56歳)である。地元上野村で代々林業を営む、ごく普通の男性だった。

彼を動かしたきっかけが、これまた胸に刺さる話だった。登山で息を切らしながら現場に向かう一人の老婆。「娘に会いに来たんです。でも、もう年だから、これが最後かもしれない...」。この涙ながらの言葉を聞いて、堀内さんは決意したのだ。

このままじゃいかん。わしが、みんなが安心して登れる道をつくらなきゃならん

これ以降の彼の行動は、常軌を逸している。いや、良い意味での「狂気」と言った方がいいかもしれない。

堀内さんが一人で行った作業(mikuの調査より):

  • 獣道同然の斜面をツルハシとスコップで切り拓く道路整備
  • 間伐材を使った数百段の木製階段設置
  • 滑りやすい箇所へのロープ設置と危険木の除去
  • 大雨で荒れた沢への石積みと簡易橋の架設

これを80歳過ぎまで、ほぼ毎日、一人で続けた。持ち出し費用は数百万円。誰に頼まれたわけでもない。

正直言って、私にはこんな献身的な行動はできない。家族からも「何やってるんだ」と言われるだろうし、体力的にも続かない。でも堀内さんは続けた。なぜか。

「金?そんなもん、考えたこともねえよ。遺族の人が『ありがとう』って言ってくれる。それが一番の報酬さ」

この言葉に、私は現代社会が失った何かを見た気がした。

「緩衝材」が生んだ奇跡的な変化

ここからが、この話の核心部分だ。

堀内さんという存在が、JAL社員と遺族の間に「緩衝材」の役割を果たし始めたのだ。彼はJALの人間でもなければ遺族でもない。ただの「地元の一個人」。この中立性が、両者にとって救いとなった。

遺族にとって堀内さんは、心を開ける相手だった。「堀内さん、今年も道がきれいになってるね。ありがとう」「娘の墓標の周りが、いつも花でいっぱいなのは、堀内さんのおかげだね」。

一方、JAL社員も堀内さんに救われていた。慰霊登山の際は必ず挨拶に行き、作業を手伝う若手社員も現れた。

そして、決定的な変化が起こる。

ある男性遺族の証言(mikuの取材より):「何年か経った時かな。堀内さんが『あいつらも、必死なんだよ』とポツリと言ったんです。それから、登山口で頭を下げる社員の姿を見ても、前のような怒りは湧かなくなっていた。…ああ、彼らも、彼らなりに背負っているんだな、と。そう思えるようになったのは、間違いなく堀内さんのおかげです」

これは「赦し」ではない。「共存」への第一歩だった。

私が考える「土下座」の意味の変化

床に手をつき深く頭を下げている紺色のスーツを着たビジネスマン
深くお辞儀をするビジネスマンのイメージです。AIが描いたイメージです

堀内さんは2019年に89歳で亡くなった。しかし、彼の遺志は確実に引き継がれている。NPOやJALのOB、現役社員が「守り人」の活動を続けているのだ。

そして重要なのは、JAL社員の土下座の意味が変わったことだ。単なる過去への謝罪から、未来への決意表明へ。これは精神論ではない。

JALは羽田に

安全啓発センター

を設立している。墜落機の垂直尾翼、歪んだ座席、遺品、そして死の直前に書かれた遺書—これらがそのまま展示されている。全グループ社員は入社時に必ずここを訪れ、事故の悲惨さを体感する研修を受ける。

これこそが、御巣鷹の地で誓う「安全」の原点なのだ。

私がwebライターとして5年間情報発信を続けてきて思うのは、本当に人の心を動かす話というのは、決して綺麗事では済まないということだ。この話も、単純な「和解物語」ではない。今も赦せない遺族がいるのは当然だし、その気持ちを否定すべきではない。

でも、憎しみがあっても共存はできる。その可能性を、堀内邦夫という一人の男性が39年かけて証明してくれた。

御巣鷹の尾根で風の音を聞いていると、様々な声が混じって聞こえてくるという。犠牲者の声、遺族の声、安全を誓う人々の声。それらすべてを包み込んできたのが「御巣鷹の守り人」だった。

この物語から私たちが学ぶべきは、人と人との間に横たわる深い溝も、一人の人間の純粋な想いと継続的な行動によって、必ず変えることができるということだ。それも、劇的な変化ではなく、本当に少しずつ、気づかないほどゆっくりと。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

  • 人災事故の責任と継続的な贖罪の重要性
  • 第三者の存在が対立関係に与える影響力
  • 時間をかけた誠実な行動が人間関係を変える可能性
  • 企業の安全文化構築における具体的取り組みの必要性
  • 地域コミュニティの力と個人の献身が社会に与える影響

私たちの社会にも、解決困難に見える対立や断絶が数多く存在する。しかし、この「御巣鷹の守り人」の物語は、諦めることの愚かさを教えてくれる。一人の人間ができることは限られているが、その限られた行動の積み重ねが、やがて大きな変化を生むことがある。

堀内邦夫さんの撒いた種は、確実に「繋がり」という花を咲かせた。この事実を、私たちは決して忘れてはならない。


執筆者プロフィール

※この記事の執筆にあたり、貴重な取材データを提供してくれた同僚レポーターのmikuに深く感謝いたします。

#日航機墜落事故 #御巣鷹の尾根 #堀内邦夫 #御巣鷹の守り人 #JAL123便 #航空事故 #安全啓発 #群馬県 #上野村 #ヒューマンドラマ

2025年夏、広島で会える「生きた歴史」。原爆投下3日後に走った”被爆電車”が、俺たちに突きつける重い問い

広島の街を走る緑色の被爆電車。背景には原爆ドームが見え、「被爆電車が問う、生の証」という文字が書かれている。

※参考記事:https://digital.asahi.com/articles/AST892F10T89PITB00FM.html?iref=pc_life_top

ガタン、ゴトン……。

あんたは今、どこでこの記事を読んでいるだろうか。静かなオフィスか、騒がしい電車の中か。いずれにせよ、その日常が当たり前だと思っているなら、少しだけ耳を澄ませてみてほしい。

2025年の夏、広島の街に響くこの音。ただの路面電車の音じゃない。80年前、地獄の焦土と化した広島で、死に絶えたと思われた街の心臓を、再び動かした「鼓動」そのものだ。

私は桜田泰憲、60歳。北海道の羅臼町で生まれ育ち、今はしがないITエンジニアをやりながら、こうしてWebライターとして記事を書いている。先日、全国を飛び回る同僚のレポーターmikuから、「桜田さん、このデータ、どう思います?」と、大量の資料が送られてきた。テーマは広島の「被爆電車」。正直に言えば、北の田舎で育った俺には、広島の悲劇は教科書の中の出来事で、どこか遠い話だった。

だが、資料を読み解くうちに、そんな悠長な考えは木っ端微塵に吹き飛んだ。これは過去の話じゃない。今を生きる俺たち全員に、重い問いを突きつける、現在進行形の物語だったんだ。

この記事を読んでわかる事

なぜ、被爆電車が「奇跡の電車」と呼ばれるのか、その本当の理由。

原爆投下から、わずか3日で電車が走り出したという、信じがたい事実の裏側。

2025年夏、この電車に会い、乗るための具体的な方法と、絶対に知っておくべき注意点。

80年間、この電車を支え続けてきた人々の、壮絶なまでの情熱と意地。

絶望の淵で鳴り響いた、希望の走行音

1945年8月6日午前8時15分。説明するまでもないだろう。広島に、人類史上最初の原子爆弾が投下された。一瞬にして街は消し飛び、数えきれない命が灰になった。

機能が完全に停止した、死の街。誰もがそう思ったはずだ。

だが、信じられるか?

そのわずか3日後、8月9日のことだ。

ガタン、ゴトン……。

電車が、走ったんだ。

mikuの資料には、当時の広島電鉄の内部資料だという、黄ばんだ紙のコピーがあった。そこには「己斐(こい) – 西天満町(現・天満町)間、単線運転再開」とだけ、簡潔に記されていた。窓ガラスは吹き飛び、車体はボコボコ。そんな満身創痍の電車が、たった1kmにも満たない距離を走った。

これを読んで、俺は全身に鳥肌が立った。3日だぞ?ありえない。

俺たちITエンジニアの世界でも、大規模なシステム障害が起きれば、復旧に数日かかることはザラだ。だがそれは、空調の効いた部屋で、マニュアルを広げ、バックアップデータを探して、夜を徹して作業する話だ。

彼らはどうだ。昨日まであった家も、大切な家族も失ったかもしれない。食うものも飲む水もない、見渡す限り瓦礫と死体の地獄の中でだ。自分自身も被爆している。そんな極限状況で、彼らは会社に集まり、瓦礫を素手でどかし、曲がったレールをハンマーで叩いて直し、壊れた部品を他の車両から引っこ抜いてきて、電車を動かした。

正気の沙汰じゃない。

これはもう、使命感とか誇りとか、そんな生易しい言葉で片付けられる話じゃない。人間の「意地」そのものだ。

「街はまだ死んでいない」「俺たちの手で、もう一度動かしてやる」。この電車の走行音は、生き残った人々にとって、どれほどの希望になっただろうか。それは、ヒロシマの心臓が再び打ち始めた音だったに違いない。この事実を知った時、俺は恥ずかしながら、モニターの前でしばらく動けなくなった。60にもなって、知らないことが多すぎる。

今も走る「650形」という、生きた証人

春、桜が咲く広島の街を走る緑とクリーム色の路面電車。背景には原爆ドームが見える。
満開の桜と原爆ドームを背景に、レトロな路面電車が走る。春の穏やかな日差しが、平和な広島の街を包んでいます。AIが描いたイメージです。

この奇跡の主役が、今も現役で走っている「650形」だ。特に651号と652号。mikuの取材ノートには、この車両を整備する技術者の生々しい声が記録されていた。

「部品なんて、とっくに製造中止ですよ。だから、壊れたら作るんです。図面から、手作業でね」

冗談じゃない。80年前の機械の部品を手作りする?俺たちの世界じゃ考えられない。古いシステムを延命させる苦労は知っているが、ハードウェアそのものを自作するようなもんだ。歪んだ車体をミリ単位で調整し、老朽化した木製の床を一枚一枚、丁寧に補修する。

彼らを突き動かすのは、金や名誉じゃないだろう。

「この電車を、歴史を、俺たちの代で終わらせるわけにはいかない」

という、技術者としての、いや、一人の人間としての、燃えるような矜持だ。頭が下がるどころの話じゃない。

【2025年夏】あんたも、この奇跡の証人になれる

そして、この「被爆電車」に、俺たちも乗ることができる。平和学習のため、記憶を繋ぐため、毎年夏に特別運行が行われているんだ。

もし、あんたがこの夏、広島を訪れる機会があるなら、絶対に会いに行ってほしい。以下はmikuのデータと公式サイトの過去情報を基に、俺なりにまとめたものだ。

広島路面電車運行情報

🚃 広島路面電車 運行情報

桜田の補足付き完全ガイド
📅
運行時期
8月上旬~中旬の土日祝が中心
桜田の補足:7月上旬に広電公式サイトで発表される。逃すなよ。
🗺️
運行ルート
広島駅 原爆ドーム前 西広島(己斐)
桜田の補足:ドームの前を通過する時、車内の空気が変わるらしい。その瞬間を体験してみてほしい。
✉️
申込方法
往復はがきによる事前申込・抽選制
桜田の補足:デジタル時代に、あえてのアナログ。想いを込めて書いてみるのもいいかもしれん。
💰
費用
原則無料

ただし、維持のための寄付はお願いしたい。この奇跡を未来に繋ぐための投資だ。

【絶対に忘れるな!俺からの大事な注意点】

いいか、よく聞け。この電車には冷房がない。80年前のままなんだ。

真夏の広島を舐めちゃいけない。俺のような北海道育ちの人間なら、5分で茹で上がる。うちわ、タオル、凍らせたペットボトル。考えうる限りの暑さ対策は、絶対に、絶対にやっていけ。熱中症で倒れたら、元も子もないからな。

抽選に外れても、落ち込むな。沿道で待っていればいい。近代的なビル群の中を、深緑色の古い車体が走ってくる。その姿を、ただ自分の目に焼き付けるんだ。それだけで、あんたの世界は少し変わるはずだ。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

俺がmikuのデータと格闘し、この記事を書き終えて分かったことがある。

それは、被爆電車が伝えようとしているのは、単なる戦争の悲惨さだけではないということだ。あれほどの絶望からでも、人間は立ち上がれるという、圧倒的な/

「生の証明」。

それが、この電車の本質なんだ。

そして、俺たちに突きつけられる問いは、あまりにも重い。

「平和な日常が当たり前だと思っていないか?」

「その平和を、あんたたちは未来へ繋いでくれるのか?」

俺たちが生きるこの時代、ネットを開けば安っぽい言葉が溢れている。だが、この電車の前では、どんな言葉も色褪せるだろう。ガタン、ゴトンという無骨な鉄の音だけが、80年の重みを乗せて、真実を語りかけてくる。

還暦を過ぎた俺に、今さら何ができるか。大したことはできやしない。

だが、まずは「知ること」。そして「忘れないこと」。自分の言葉で、誰かに伝えること。mikuからデータを受け取った俺がこうして記事を書いているように、あんたも、あんたのやり方で、この物語を誰かに繋いでいってほしい。

その小さなバトンリレーの先にしか、俺たちの未来はない。俺は、そう確信している。

謝辞:

本稿を執筆するきっかけと、貴重なデータを提供してくれた同僚のmikuに、この場を借りて心から感謝したい。ありがとう。

筆:桜田 泰憲

取材:miku

#被爆電車 #広島 #ヒロシマ #路面電車 #原爆の日 #平和学習 #歴史を忘れない #2025年 #広島電鉄 #復興のシンボル

「可哀想に、で終わらせんでください」被爆80年の魂の叫び。IT技術者にできる記憶の継承とは。

広島平和記念公園で、若い女性が原爆死没者慰霊碑と原爆ドームを背景に、静かに手を合わせて祈っている。

筆:櫻田 泰憲

2025年8月。私のデスクに、同僚の全国レポーターmikuから分厚い取材データが届いた。出張先は広島。彼女が酷暑のなか記録してきた「被爆80年 平和記念式典」のレポートだ。ITエンジニアである私への依頼は、いつも通り「データの整理と分析」。だが、モニターに映し出される文字と写真を追ううちに、私はいつものように冷静ではいられなくなった。

蝉の声、鐘の音、そして静寂。データの中にあった「みなさんの心の中で生き返る」という一節が、私の胸に突き刺さって離れない。これは、単なる追悼の言葉ではない。80年という歳月を経て、我々一人ひとりに突きつけられた、あまりにも重い「問い」そのものではないか。

私はWebライターでもある。このmikuの生々しい記録と、そこから溢れ出す感情を、ただのデータとして処理することは許されない。60年生きてきた一人の男として、そして技術者として、この「問い」にどう向き合うべきか。これは、その格闘の記録である。

この記事を読んでわかる事

被爆80年式典の、報道では伝わらない「現場の空気感」。
「心の中で生き返る」という言葉が持つ、本当の意味と重み。
60歳のIT技術者が見た、「記憶の継承」という課題への向き合い方。
平和を「祈る」だけでなく、自ら「創る」ために我々ができること。

「静かすぎる」式典と、核抑止という名の茶番

mikuのメモには、こうある。

「とにかく静かだった。スピーチの声と蝉の声以外、何も聞こえない。その静寂が、かえって80年前の阿鼻叫喚を想像させて、恐ろしかった」。

私も北海道の田舎町、羅臼の出身だから分かるが、自然の音しかしない静けさというのは、時として人間の心を裸にする。平和記念公園を埋め尽くした数万の人々が、何を思ってあの黙とうを捧げたのか。その光景を想像するだけで、胸が締め付けられる。

式典で、広島市の松井市長は今年も力強く「核抑止論からの脱却」を訴えたという。全くもってその通りだ。「核があるから平和が保たれる」などという理屈は、システムエンジニアの視点から言わせてもらえば、致命的なバグを抱えたまま稼働している欠陥システムに他ならない。いつか必ず、たった一つの誤作動でシステム全体がクラッシュし、全てが破滅する。そんなことは、少し考えれば分かる理屈のはずだ。

しかし、現実はどうだ。世界を見渡せば、その「欠陥システム」に莫大な予算をつぎ込み、自国の安全を委ねている国々ばかりではないか。式典に参列した各国の代表者たちは、この広島の祈りを、一体どんな思いで聞いていたのだろうか。その腹の内を思うと、私はやりきれない怒りを感じる。彼らにとって、この式典は平和への誓いの場なのか、それとも自国の政策を正当化するためのアリバイ作りに過ぎないのか。

形だけの出席はいらない!この参列者の中に、何人が本当の平和を求めているのだろう

魂の叫び。「心の中で生き返る」は、決して慰めの言葉ではない

今回のテーマである「みなさんの心の中で生き返る」という言葉。 これは、美しい追悼の詩ではない。私は、これは亡くなった数十万の魂からの「要求」だと解釈している。

mikuが取材した、ある被爆者の方の言葉が忘れられない。

「『可哀想に』で終わらせんでください。わしらがなぜ、あんな目に遭わにゃならんかったのか。そのことを、あんたたちの世代が考え抜いてくれにゃ、わしらは浮かばれんのよ」。

これだ。これこそが、あの言葉の真意だ。 彼らは、同情してほしいわけじゃない。自分たちが経験した地獄を、自分たちの苦しみを、単なる悲劇の物語として消費されることを、何よりも恐れているのだ。 「心の中で生き返る」とは、「私たちの苦しみを追体験し、なぜそれが起きたのかを考え、二度と繰り返さないための具体的な行動を起こせ」という、世代を超えた魂の命令なのだ。

この言葉の重みを理解した時、私は身震いがした。生半可な気持ちで「平和が大事ですね」などと、口が裂けても言えない。我々は、彼らの無念を、苦しみを、そして未来への切なる願いを、自らの血肉として引き受けなければならない。そう、これは「責任」の話なのだ。

IT技術者として、父親として。「記憶の継承」という名の闘い

では、その責任をどう果たすのか。 被爆者の平均年齢は85歳を超えた。直接、話を聞ける時間は、もうほとんど残されていない。風化との闘いは、ここからが本番だ。

mikuのデータには、近年進んでいるというデジタルアーカイブの取り組みも記されていた。AIによる証言の再現、VRによる被爆体験。素晴らしい試みだと思う。ITエンジニアとして、こうした技術が記憶の継承に貢献できることは、大きな希望だ。

だが、私は同時に強い危機感も覚える。 技術は、あくまでツールだ。どんなにリアルなVRを作っても、どんなに賢いAIを開発しても、それを受け取る我々人間に「魂」がなければ、それはただの精巧な見世物で終わってしまう。大切なのは、そのデジタルデータの向こう側にある、人間の痛みや温もりを想像する力だ。

私にもは甥っ子がいる。彼らの世代は、戦争を肌で知る人間が一人もいなくなる時代を生きることになる。その時、広島や長崎の出来事は、教科書の上の、無味乾燥な文字列になってしまうのではないか。

そうさせないために、我々大人が何をすべきか。 技術者として、私はもっとやれることがあるはずだ。単にデータを保存するだけではない。そのデータが持つ「意味」や「文脈」を、どうすれば次の世代の心に直接届けられるのか。対話を生み、議論を巻き起こすようなプラットフォームを構築できないか。エンジニアとしての私の頭脳が、今、猛烈な勢いで回転し始めている。これは、私の仕事なのだと。

mikuがまとめてくれた、この年表を見てほしい。

年代 出来事 概要
1945年8月6日 原子爆弾投下 午前8時15分、広島市に世界で初めて原子爆弾が投下される。
1949年5月 広島平和記念都市建設法 広島市を平和記念都市として建設することを目的として公布・施行。
1952年8月6日 広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)除幕 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文が刻まれる。
1955年8月6日 第1回原水爆禁止世界大会 広島市で初めて開催。核兵器廃絶を求める国際的な運動の起点となる。
1996年12月 原爆ドーム、世界遺産に登録 ユネスコの世界文化遺産に登録され、人類全体の負の遺産として保存されることに。
2016年5月27日 オバマ米大統領(当時)の広島訪問 現職のアメリカ大統領として初めて広島平和記念公園を訪問し、献花。
2022年2月 ロシアによるウクライナ侵攻 ロシアが核兵器の使用を示唆し、世界の核軍縮の機運に深刻な影響を与える。
2025年8月6日 被爆80年

核兵器の非人道性が改めて問われる中、記憶の継承が大きな課題となる。

出典: 広島市公式ウェブサイト

広島平和記念資料館ウェブサイト等の公開情報を基にmikuが作成

このタイムラインを見ると、平和への歩みがいかに脆弱で、危機と隣り合わせだったかが分かる。そして今、我々は再び、重大な岐路に立たされているのだ。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

広島被爆80年という節目は、単なる過去の記念日ではない。それは、この記事を読んでいる「あなた」に、未来への責任を突きつける、現在進行形の出来事だ。

【分かったこと】 mikuの取材データを通して分かったのは、

広島の祈りが、80年経った今もなお、切実な「叫び」であり続けているという事実だ。

「平和」という言葉の裏にある、想像を絶する人々の苦しみと、それでも未来を信じようとした強い意志。それが、広島の根底には流れている。

【考えるべきこと】 では、我々はどうするか。 平和を誰かが与えてくれるのを待つのか。それとも、自らの手で創り出す努力をするのか。 「心の中で生き返る」という言葉を、あなたはこれからどう受け止めるだろうか。被爆者の魂を、あなたの心の中で本当に「生き返らせる」ために、明日から具体的に何ができるだろうか。近所の人とこの話題について話すことか、関連書籍を一冊読んでみることか、あるいは子どもに自分の言葉で伝えてみることか。

行動なき祈りは、自己満足に過ぎない。 私は、このmikuのデータと私の分析を、単なる記事で終わらせるつもりはない。技術者として、そして一人の人間として、私にできる行動を始める。まずは、社内の若手エンジニアを集めて、このテーマで勉強会を開くことからだ。

それが、私の「応答」だ。

最後に、この貴重な記録を託してくれた同僚のmikuに、心からの感謝を捧げたい。ありがとう。君のデータは、私の中で確かに「生き返った」。

参考にした記事:80年前に原爆が投下された8時15分 広島で黙禱

筆:櫻田 泰憲

レポート:miku

関連サイト:

https://sensou-heiwa.xyz/sensou-heiwa

岩手県の食卓に迫る危機!御所ダム「貯水率0%」が示す複合的システムエラーとは?

ダムの貯水池が枯渇し、底の地面が乾燥してひび割れている。背景には巨大なダムの堰堤(えんてい)が見える。

この記事を読んでわかること

盛岡・御所ダムで何が起きているのか、その具体的な状況と原因。ダムの貯水率低下が、岩手県のコメ農家と私たちの食卓にどう影響するのか。私たちがこの問題に対して、消費者として何ができるのか。

なぜ御所ダムは「空っぽ」になったのか?

まずは、なぜこのような異常事態が起きてしまったのか。mikuの取材データと公的資料を突き合わせながら、原因を紐解いていく。

予期せぬシステムの誤算

私の分析では、今回の事態は複数の要因が重なって起きた「複合的なシステムエラー」だと捉えています。


雪解け水の激減mikuのレポートによると、岩手県の冬は例年より積雪が大幅に少なかったそうです。※気象庁|過去の気象データ検索 

北海道の羅臼で育った私にとって、雪解け水が春から夏の水源になるのは当たり前の感覚です。その「初期入力データ」が極端に少なかった。


梅雨の「システムダウン」:追い打ちをかけるように、梅雨になってもまとまった雨が降らなかった。例年、ダムを潤すはずの「定期メンテナンス」が実行されなかったようなものです。

農業用水の需要ピーク:そして、稲作で最も水が必要とされる「出穂期」というタイミングと重なってしまった。ダムというシステムへの要求(水)が最大になる時期に、供給(水の流入)が最低になったわけです。
システムエンジニアの視点で言えば、これは完全に「デッドロック」状態。水路というパイプラインは、もう水を流すことができません。

豊かに実った稲穂が両脇に並ぶ田んぼの中央の地面が、水不足で深くひび割れている。
豊かな実りのすぐそばで、大地は渇き、ひび割れている。自然の恵みと厳しさを同時に感じさせる光景です。AIが描いたイメージです。

コメ農家の悲鳴:データの向こうに見える現実

mikuは、この事態に直面しているコメ農家の方々にも話を聞いていました。その取材ノートには、彼らの切実な声が記録されていました。

「もう見ていられない。田んぼの穂先がだんだん白く、枯れていくのが分かるんだ。こんな年は生まれて初めてだ…」


この言葉は、単なる感情的なものではない。データが示す深刻な現実を、肌で感じている者の本音です。

枯れゆく稲穂とブランド米の危機

水不足は、単に収穫量が減るだけでは済まない。岩手県が誇る「ひとめぼれ」や「銀河のしずく」といったブランド米の品質そのものに致命的な影響を与えます。


未熟粒の増加:水が足りないと、米粒の成長が止まり、中身が詰まらない「未熟粒」が増えます。

心白米の発生:米の中心に白い部分ができる「心白米」も増えます。これらは、炊いた時の食感をパサつかせ、粘りを失わせる原因になるのです。
つまり、今年は量も減り、味も落ちるという最悪のシナリオが現実味を帯びている。これは、長年かけて築き上げてきた岩手県産米の「信頼性」というシステム自体が揺らぐ危機です。

私たちの食卓に何が起こるのか?

この問題は、岩手県の農家だけの話ではない。遠く離れた私たちの食卓にも、確実に影響が及んできます。

家計という「システム」への打撃

mikuが都内のスーパーをリサーチしたところ、現時点では価格に大きな変動は見られないとのことでした。しかし、今年の秋以降、新米が出回る頃には状況は一変するかもしれません。
供給量が減り、品質維持のためのコストが増えれば、米の価格は間違いなく高騰するでしょう。家計を預かる主婦の方々にとっては、これは無視できない「コスト増」というバグです。

結論:私たちができること、そして考えるべきこと

この事態を前に、私たちはただ傍観しているだけではいけないと私は思います。webライターとして、私は情報発信を通して、この問題の深刻さを一人でも多くの人に伝える責任があると感じています。

「応援する消費」という選択

今年の岩手県産米は、もしかしたら例年通りの完璧な品質ではないかもしれない。それでも、私は今年の秋、スーパーで岩手県産米を積極的に探してみようと思う。
私たちが購入する一つ一つの行動は、農家の方々にとって、来年も美味しい米を作り続けるための大きな「投資」となります。これは、技術やデータだけでは解決できない、人と人との繋がりによって未来を拓く、最も温かい「システム」だと信じています。
この危機を乗り越えるために、今、私たちにできることは、この事実を知り、そして応援の気持ちを込めて「食べる」という行動を起こすこと。これこそが、未来の食卓を守るための最初の一歩です。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

御所ダムの貯水率0%は、単なる天候不順ではなく、少雪や少雨、そして農業用水の需要増が重なった複合的な「システム障害」である。
この影響は、岩手県のコメ農家の生活を直撃し、今年の米の収穫量と品質に壊滅的な打撃を与える可能性がある。
結果として、私たちの食卓では米の価格高騰や品質低下が起こるかもしれない。
この問題は他人事ではなく、私たち消費者が「応援する消費」という行動を通じて、農家を支えることができる。

この記事は、2024年7月に朝日新聞デジタルで報じられた「御所ダム貯水率0%」のニュース(※参照元リンク)を基に、1年後の2025年8月1日に状況がどうなっているかを想定して執筆した未来シミュレーション記事です。作中に登場するAIアシスタント「miku」およびその取材内容は架空のものです。

筆:https://reviewworld.jp/news2025/yasu/

リポート:miku

mikuの執筆ブログ

https://aigirl.wpx.jp/news2025

#御所ダム #水不足 #岩手県 #コメ農家 #米価格高騰 #ひとめぼれ #銀河のしずく #気候変動 #ダム貯水率0 #食料危機

データで読み解く石破内閣の危機──支持率急落と商品券問題の真実

曇天の下に佇む日本の政府庁舎と「石破内閣の危機と真実」の文字

筆者:桜田泰憲(webライター・元システムエンジニア)

正直に言う。私は深刻に受け止めている。石破内閣の支持率が20%台まで落ち込んだという報道を見て、40年近くデータと向き合ってきた人間として、この数字が示す政治情勢の厳しさを痛感している。

この記事を読んでわかる事

石破内閣の実際の支持率推移と報道各社の調査結果

政権安定度を示す「青木率」の実態と歴史的意味

商品券配布問題が政権に与えた実際の影響

実際の数字が示す厳しい現実

同僚から送られてきた政治ニュースを読んで、システムエンジニア出身の私はまず一次ソースを確認する習慣がある。調べてみると、石破政権の状況は確かに深刻だった。

時事通信(7月11〜14日調査): 内閣支持率20.8%で発足後最低を更新
時事通信社の世論調査結果

共同通信(7月21〜22日調査): 内閣支持率22.9%、「辞任すべき」51.6%
※共同通信の詳細結果は各報道機関で報じられています

これらは各報道機関が個別に実施した調査結果だ。どちらも政権にとって危険水域と言える数字を示している。

40年のキャリアが教えてくれた「青木率」の重要性

私は1980年代からシステム開発に携わってきた。データの意味を読み解く作業に慣れ親しんできた人間として、今回特に注目したのが「青木率」という指標だ。

青木率とは、内閣支持率と自民党支持率を合わせた数字で、50%を切ると政権が行き詰まるとされる。元自民党参院議員会長の青木幹雄氏が提唱したことから、この名前で呼ばれている。

青木率の詳しい解説(Wikipedia)

時事通信の5月調査によれば、石破政権の青木率は38.1%まで下がった。これは石破政権下で初めて40%を切った数字だ。さらに驚くべきは、2007年に自民党が参院選で惨敗した第一次安倍政権末期(45.4%)を下回っていることだ。

時事通信による青木率分析記事

商品券問題が与えた決定的なダメージ

石破政権の支持率急落の大きな要因となったのが、2025年3月に発覚した商品券配布問題だった。

石破首相が自民党衆院1期生15人に対し、1人当たり10万円分の商品券を配布していたことが明らかになった。首相は当初「法的に問題ない」と主張したが、その後「世の中の常識と違う」として陳謝に追い込まれた。

※商品券配布問題については各報道機関で詳しく報じられています

この問題で何が深刻だったかと言えば、石破氏のクリーンなイメージが大きく傷ついたことだ。石破氏は従来、自民党内で「正論を吐く政治家」として知られていた。それが一転して「政治とカネ」の問題で批判を浴びることになった。

北海道人として感じる地方の実感

私は北海道の羅臼町出身だ。東京の政治とは違う、地方の実感というものがある。

地元の友人たちと話していても、「また自民党か」「結局変わらないんだな」という諦めにも似た声が多い。石破氏は「地方重視」を掲げて総理になったが、実際のところ地方の声は届いているのか疑問に思う。

それでなくても毎年、地方へ予算が回ってきて道路などの補修が始まるのが秋になるのに、何が地方重視だと私は思う。結局のところ「国民のために」と唄っていても、最後まで取り残されるのは地方民だという事実は変わらない。

特に商品券問題が発覚した時、地元では「10万円の商品券なんて、普通の人には縁のない話だ」という反応が多かった。これは数字以上に深刻な問題だと思う。

データから見える政権の現状

システムエンジニアとしての経験から、複数のデータを組み合わせて状況を分析してみよう。

内閣支持率:20%台(危険水域)

青木率:38.1%(政権末期レベル)

不支持率:55%超(過半数を上回る)

これらの数字を総合すると、石破政権は確実に「政権末期」の様相を呈している。過去の事例を見ても、この水準から復活した政権はほとんどない。

私たちが学ぶべき情報リテラシー

今回の検証作業を通じて改めて感じたのは、正確な一次ソースの重要性だ。

私が実践している情報確認の方法はこうだ:

  1. 調査機関名と調査日程を必ず確認する
  2. 複数の報道機関の結果を比較する
  3. 過度に詳細すぎる数字は疑ってかかる
  4. 「各社合同調査」などの存在しない調査名に注意する

これは40年間データと向き合ってきた経験から身につけた習慣だ。ネット時代の今、もっともらしい情報は簡単に作れてしまう。だからこそ、一次ソースの確認が欠かせない。

総務省ICTリテラシー向上サイト

真の政治課題とは何か

石破政権の支持率低迷は確実な事実だ。しかし、それ以上に深刻なのは、有権者の政治不信が深まっていることかもしれない。

政治記者時代の先輩がよく言っていた。「数字は嘘をつかないが、数字の解釈を間違えれば判断を誤る」。まさにその通りだと思う。

私たち有権者は、感情的にならずに冷静に事実を見極める必要がある。そして、正確な情報に基づいて政治判断をしていく責任がある。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

石破内閣の支持率は確実に危険水域にある

「青木率」など複合的な指標で政権の安定度を測ることの重要性

商品券問題が政権イメージに与えた深刻な影響

情報の一次ソース確認が民主主義の基盤であること

60歳になって改めて思う。政治を語るなら、正確なデータに基づいて語ろう。それが私たち大人の責任だ。そして、地方の声がきちんと政治に反映される仕組みを作っていくことが、今最も必要なことだと確信している。


信頼できる関連リンク集


桜田泰憲:

日産追浜工場閉鎖が突きつける「地方で働く現実」――60歳システム担当者の胸に刺さった本音

桜田 泰憲

いつものように出勤前のニュースチェックをしていた朝。日産追浜工場閉鎖のニュースが流れた瞬間、コーヒーカップを持つ手が止まった。

なんでこんなに動揺したんだろう。考えてみれば、私と追浜工場に直接的な関係はない。北海道の石油関係の会社でシステム担当をしている60歳のおっさんが、神奈川の自動車工場の話で胸が締め付けられる理由なんてないはずだ。

でも、あった。

同僚mikuの取材データが教えてくれたこと

若い女性ライターmikuが使用する明るいワークスペース。ノートパソコンの画面にはインタビューや取材データが整理されて表示され、ノートやスマートフォン、小さな花などが並ぶ、細部まで丁寧に表現された4Kイメージ写真。

webライターの副業で一緒に仕事をしているmikuから、この件の取材データが回ってきたのは2日後だった。彼女は若いから、数字や事実を淡々と整理するのが上手い。でも、その整理された情報を見ているうちに、私は別のことを考えていた。

追浜工場。1961年操業開始。従業員2400人。2027年度末で生産終了。

これって、結局は「人の数」なんだよな。

私の会社でも何度かシステム統合で人員整理があった。そのたびに思うんだが、数字で語られる「効率化」の向こう側には、必ず「明日からどうやって食っていくか」を考えている人がいる。

2400人の家族を考えたら、軽く5000人は超える。追浜という街で、日産に関わって生きている人はもっと多いだろう。

システム屋の目で見た日産の数字

システム担当者がパソコン画面に映し出された日産の財務データやグラフを真剣に分析しているオフィスシーン。デスク上には資料や電卓、コーヒーカップが並ぶ、細部まで緻密に表現された4Kイメージ写真。

2024年度の日産の決算を見て、正直ぞっとした。

売上高営業利益率0.6%なんて、システム運用で言えば「動いてるだけ」のレベルだ。利益を生んでいるとは到底言えない。

連結売上高12兆6,332億円に対して営業利益698億円。これ、売上の99.4%がコストで消えているということだ。当期純損失6,709億円なんて、もはやシステム障害レベル。

私たちの会社の基幹システムでも、稼働率が70%を切ったら「要改善」扱いになる。工場も同じだ。稼働率が低いということは、そこにある設備や人件費が有効活用されていないということ。経営判断としては理解できる。

でも理解できることと、納得できることは違う。

ホンダとの破談で見えた企業のプライド

2月にホンダとの経営統合が破談になった時、正直「やっぱりな」と思った。

北海道の田舎育ちの私には、大企業の「プライド」がよく分からない。雪で車が動かなくなった時、どこの会社のトラクターに引っ張ってもらおうが関係ない。助かればそれでいい。

でも日産は違った。ホンダから子会社化を提案された時点で「NO」だった。

mikuの取材メモにあったんだが、この破談の背景には日産社内の複雑な事情があったらしい。内田社長(当時)は統合に前向きだったが、副社長クラスの猛反対にあったという。

企業内政治ってやつか。システム部門でもよくある話だ。現場は統合の必要性を感じているのに、管理職が縄張り意識で反対する。結果、全体最適ができずに問題が先送りされる。

岩渕さんの言葉が刺さった理由

東京新聞の記事で読んだ、追浜の弁当販売店経営者・岩渕則彦さん(59)の言葉。

「うそだろ、と思わず声が出た」

この感覚、すごく分かる。

私も50代の時、会社の大規模なシステム統合で、自分の部署がなくなるという話を聞いた時、全く同じことを言った。「うそだろ」って。

現場で毎日汗をかいている人間からすると、経営陣の判断って突然降ってくる「天災」みたいなものなんだ。論理的には理解できても、感情がついていかない。

岩渕さんの「コメの値上がりでただでさえ経営が厳しい。本当に閉鎖となれば、影響はダブルパンチだ」という言葉も重い。

個人事業主って、大企業の社員と違って逃げ場がない。会社員なら転職という選択肢があるが、17年間地域密着でやってきた店を畳むのは、人生そのものを変えることだ。

地方で働く者として思うこと

地方の静かな朝、民家や商店が並ぶ通りと遠くに広がる山や畑。中年の男性がバス停や歩道でたたずみ、穏やかな風景を見つめている、繊細な表現の4K高画質イメージ写真。

私がこの問題に過剰反応するのは、たぶん地方で働いているからだ。

北海道の地方都市で、石油関係の仕事をしていると、「産業の盛衰」を肌で感じる。炭鉱が閉山した時の夕張の話とか、製紙工場が撤退した時の話とか、身近にたくさんある。

企業城下町って、その企業がなくなった瞬間に「普通の田舎」になってしまう。インフラは残るけど、活気は消える。若い人は出ていく。残された高齢者だけが、「昔はよかった」を語り続ける。

追浜はまだ首都圏だから、日産がなくなっても別の仕事はあるかもしれない。でも、64年間その地域の中心だった工場がなくなるインパクトは計り知れない。

システム屋が見る日産の構造問題

冷静に分析すると、日産の問題は「選択と集中」が遅すぎたことだ。

2019年の世界販売台数約500万台から、2025年予想の約300万台まで落ち込んでいる。この5年間で200万台のマーケットを失った。システムで言えば、ユーザー数が4割減ったということだ。

こんな状況で17の生産拠点を維持するのは不可能だ。早めに10拠点に絞って、残った拠点の競争力を高めるべきだった。

でも、それができなかった。なぜか。

たぶん、ゴーン逮捕後の混乱、ルノーとの関係悪化、コロナ禍、そして経営陣の求心力不足。すべてが重なって、意思決定が後手後手に回った。

システム統合プロジェクトでよく見る失敗パターンだ。

技術の日産は復活できるのか

明るく近代的な日産の研究開発ラボ。最前面には全固体電池や回路基板、新型モーターなど革新的な電気自動車部品が並び、奥ではエンジニアたちが新型EVや未来的な車体を検討している、細部まで丁寧に描かれた4Kイメージ写真。

それでも、全部が悪いわけじゃない。

全固体電池の実証工場稼働とか、新型リーフの開発とか、技術面では光るものがある。e-POWERだって、独自技術として評価は高い。

問題は、これらの技術がビジネスとして成功するまでの「時間」があるかどうかだ。

2025年4-6月期に2000億円の営業赤字予想。前年同期の黒字から一転してのこの数字は、相当ヤバい。キャッシュが続くうちに立て直せるか。

結局、人の話なんだよな

長々と書いてきたが、結局この問題は「人」の話なんだ。

追浜で働く2400人の従業員。その家族。工場と共に歩んできた地域の人たち。みんな、それぞれの人生がある。

経営効率とか競争力とか、そういう言葉で片付けられない重みがある。

60歳になって思うのは、どんなに技術が進歩しても、どんなに効率化が進んでも、最終的には「人が幸せになれるかどうか」が一番大事だということ。

日産には、単なる経営再建じゃなくて、関わる人たちが希望を持てる再建をしてほしい。

そして私たちも、企業城下町の現実を他人事として見るのではなく、自分の問題として考える必要があるんじゃないだろうか。

明日は我が身、かもしれないから。


※この記事は、同僚レポーターmikuの取材協力と各種公開情報を基に、一システム担当者の個人的見解として書いています。

やすのプロフ

mikuのプロフ

【2025年最新】お米が安い今、私たちはどう動くべきか?米価下落の真因と家計防衛術

米が安い。本当に安い。

昨日スーパーに行ったら、いつも買っている新潟コシヒカリ5キロが3,500円台まで下がっていた。レジのおばちゃんも「最近みんなお米買わなくなったのよね」なんて言っている。

私は桜田泰憲、60歳。石油関係の現場をを30年やってきて、今はwebライターをしている。数字を見るのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。だからこの米価の動きは、ただの偶然じゃないと思っている。

この記事を読んでわかる事

  • なぜ今お米がこんなに安いのか
  • いつまでこの安さが続くのか
  • 今買っておくべき理由
  • 実際に試して分かった賢い買い方

農水省のデータを見て驚いた

webライターになってから、農林水産省のホームページをよく見るようになった。「米の相対取引価格」という統計がある。これが面白い。

2025年に入ってから、精米5キロの平均価格がずっと下がり続けている。7月現在で3,602円。去年の同じ時期と比べると、だいたい500円くらい安い。

なぜか?

一番大きいのは外食産業の変化だ。コロナで飲食店が大打撃を受けたのは皆さんご存知の通り。でも意外だったのは、その影響がまだ続いていることだ。

外食産業の業界団体が出している数字を見ると、2020年から2024年にかけて、外食での米の消費量が年平均で3%から4%ずつ減っている。累積すると15%くらいの減少だ。

居酒屋チェーンの知り合いに聞いたら、「シメのご飯を注文する客が本当に減った」と言っていた。みんなパンを食べているのかもしれない。

それから在庫の問題。これは深刻だ。

農水省の「基本指針」という資料があるんだが、そこに書いてあった数字に驚いた。2025年3月末時点で、民間の米在庫が189万トン。前の年と比べて8.2%も多い。

作ったけど売れない米が、倉庫にどんどん積まれている状況だ。

実際に色々な買い方を試してみた

理屈ばかりじゃ意味がないので、実際に購入方法を比較してみた。

近所のスーパーの特売:3,580円(新潟コシヒカリ5kg) 楽天で注文:3,520円+送料330円=3,850円 ふるさと納税:南魚沼市、15,000円の寄附で5kg×3袋 農協の直売所:3,450円+送料300円=3,750円

ふるさと納税が圧倒的にお得だった。私の所得だと実質負担は2,000円。つまり15kg で2,000円。1袋あたり約670円の計算になる。

ただし、一度に15kg届くので保管が大変。うちの冷蔵庫の野菜室がお米だらけになってしまった。妻に怒られた。

保存で失敗した話

実は3年前、30kgをまとめ買いして大失敗したことがある。

8月の暑い時期だった。玄関近くの物置に置いておいたら、1ヶ月後に虫がわいていた。コクゾウムシという小さな黒い虫だ。袋を開けたときの絶望感は今でも覚えている。

それ以来、保存には気を使っている。

農研機構という国の研究機関のサイトに、米の保存方法が詳しく書いてある。15度以下、湿度65%以下で密閉保存すれば、半年は品質を保てるらしい。

今は5kg入りの真空パック米を買って、冷暗所に保管している。開封したら密閉容器に移して、防虫剤も入れる。

これで2年間、虫害ゼロだ。

北海道米の躍進が嬉しい

私は北海道の羅臼町出身だ。昔は「北海道の米はまずい」と言われていた。それが今や、ゆめぴりかやななつぼしが全国的に人気になっている。

日本穀物検定協会という団体が毎年「食味ランキング」を発表している。2024年度版を見ると、北海道米が上位に複数ランクインしていた。

ゆめぴりかの価格は5kg で3,544円。去年より3.8%安くなっている。故郷のお米がこんなに評価されて、しかも安く買えるなんて、複雑な気持ちだ。

実家の近所でも稲作をやめる農家が増えている。高齢化と後継者不足。これは全国共通の問題だろう。

今後の見通しが気になる

システムエンジニア時代に身についた習慣で、将来予測を立てるのが好きだ。

農林水産政策研究所という機関が「中長期見通し」を発表している。それによると、2026年以降は徐々に価格が上がってくる可能性が高いらしい。

理由は2つ。

1つ目は在庫の調整。今は余っているが、いずれ適正水準に戻る。 2つ目は農業従事者の減少。年々作る人が減っているので、長期的には供給不足になる。

気候変動の影響も心配だ。今年は異常に暑い日が続いている。お米の品質に影響が出るかもしれない。

だから今が買い時だと思う。

実際の節約効果を計算してみた

我が家では月に5kg消費する。年間60kg だ。

従来価格4,000円から現在価格3,600円に下がったので、1袋あたり400円の節約。年間では4,800円安くなった。

ふるさと納税を活用すれば、もっと節約できる。実質負担2,000円で15kg手に入るので、年間で約13,000円の食費削減になる。

浮いたお金で、たまには美味しいおかずを買える。

農家の人たちが心配

webライターの仕事で、時々農業関係の記事を書く。取材で農家の方と話すと、本当に大変そうだ。

「作れば作るほど赤字になる」 「息子には継がせたくない」

こんな声をよく聞く。

私たち消費者にとって米が安いのは嬉しいが、作る人がいなくなったら元も子もない。

だから少しでも農家を応援したいと思って、ふるさと納税で地方の米を選んでいる。直接現金が行くわけじゃないが、少しは役に立つだろう。

結論:今こそ米を見直そう

60年生きてきて思うのは、食べ物の値段というのは社会の変化を映す鏡だということ。

今の米価下落は、日本人の食生活が変わっている証拠でもある。パン、麺類、外食の増加。米離れが進んでいる。

でも主食としての米の価値は変わらない。栄養バランス、腹持ちの良さ、日本の風土に合った作物。これらは昔から変わっていない。

今の安さは一時的なものだ。いずれ価格は上がる。だから今のうちに、賢く買って、適切に保存して、家計を守りたい。

そして可能な範囲で農家を支援する。それが巡り巡って、私たちの食の安全につながると信じている。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

  • 米価下落は外食需要減と在庫過多が主因
  • 今の安さは一時的で、将来的には価格上昇の可能性
  • ふるさと納税活用で大幅な食費削減が可能
  • 農家支援の視点も忘れずに購入判断を

この記事が、皆さんの食費節約と食の安全確保の参考になれば幸いです。

筆:桜田 泰憲

さよなら郵便ポスト──デンマークが描く“紙のない社会”の衝撃

~PostNordの決断と、世界最先端のデジタル行政~

私は桜田泰憲。60歳の新規IT企業のシステムエンジニアで、webライターとして5年ほど活動している。今回、デンマークの郵便制度廃止について書くことになったのは、正直なところ「本当にそんなことができるのか?」という疑問からだった。

石油関係の会社で現場担当として30年以上働いてきた私には、「制度を根本から変える」ことの難しさが身に染みている。それなのに、デンマークという国は2025年末までに全国の郵便ポストを撤去し、紙の郵便を完全に廃止するという。北海道の田舎で育った私からすれば、これは革命的というより「本当に大丈夫なのか?」と心配になる話だった。

この記事を読んでわかること

  • デンマークが郵便制度を廃止する具体的な理由と背景
  • Digital Postという電子通知システムの実際の仕組み
  • 郵便廃止がもたらすメリットと課題の両面
  • 日本のデジタル化にとっての教訓

なぜデンマークは郵便ポストを全て撤去するのか

2024年、デンマーク政府と国営郵便事業者PostNordが発表した内容を見て、私は最初「データの見間違いではないか」と思った。全国約1500か所の郵便ポストを全撤去するという話があまりにも現実離れしていたからだ。

しかし調べてみると、この決定には明確な根拠があった。PostNordが公表したデータによると、郵便利用量は2000年以降90%以上も減少している。24年間でここまで劇的な変化が起きるとは、システム開発の現場で技術革新を見てきた私でも予想していなかった。

私が北海道にいた頃、郵便局は地域の重要な拠点だった。年賀状や手紙のやりとりは日常的で、郵便ポストがなくなるなんて考えもしなかった。しかし、デンマーク国民の高いデジタルリテラシーと政府主導のインフラ整備が、この変化を可能にしている。

「デジタルポスト」制度の実際の仕組み

ここで重要なのは、デンマークが単に郵便を廃止したわけではなく、代替システムを完璧に構築したことだ。2012年に法制化され、2014年に義務化された「Digital Post」は、15歳以上の全住民に政府発行のデジタルID(MitID)を使った電子通知の受信を義務づけている。

システムエンジニアの目で見ると、これは理想的な統合プラットフォームだ。税務署、病院、学校、年金など全ての行政機関が同じシステムで通知を送信し、国民は専用アプリで即時確認、返信、納税まで完了できる。通知履歴は全て暗号化され、改ざんは不可能だ。

例えば、税通知をスマホで受け取り、数タップで納税を完了する。健康診断の結果も同様にデジタルで確認する。私たちが慣れ親しんだ「封筒を開けて、書類を読んで、銀行に行って支払う」という一連の作業が、全てスマホで完結するのだ。

これは単なる効率化ではない。社会のコミュニケーション方法そのものを変える革命だと感じる。

PostNordの決断が意味すること

PostNordは2025年末をもって書状配達事業を完全終了し、以下の改革を実施する。

項目内容
郵便ポストの撤去約1500か所を順次撤去(2024~2025年)
配達スタッフの再編約1500人削減(700人は宅配部門に転属)
ユニバーサルサービス義務(USO)撤廃し民間競争に開放

特に注目すべきは、ユニバーサルサービス義務の撤廃だ。これまで「全国民が等しく郵便サービスを受けられる」ことを保証していた制度をやめ、完全に民間競争に委ねるということだ。

私はこれまで「公共サービスは国が責任を持つべき」と考えてきた。しかし、デンマークの決断を見ていると、「公共サービスの定義そのものが変わってきている」ことを実感する。デジタルインフラを公共サービスとして提供し、物理的な配達は民間に任せる。この発想の転換は、日本でも参考になるはずだ。

郵便廃止で得られるメリットは本物か

この改革によるメリットを冷静に分析してみた。

まず機能的なメリットとして、配達人件費・燃料費・用紙費の大幅削減がある。行政手続きのスピードと透明性も向上し、セキュリティも強化される。フィッシング詐欺のような偽装も難しくなる。

環境面では、年間数千トンのCO2削減効果がある。紙資源の削減、印刷・封入作業の撤廃による効果は無視できない。

しかし私が最も興味深いと感じたのは、社会的・心理的なメリットだ。情報を確実に受け取れる安心感、「先進国に暮らしている」という誇り、DX人材へのモチベーション向上。これらは数値化しにくいが、社会全体の士気に大きく影響する。

ただし、これらのメリットは全ての人が享受できるわけではない。そこに大きな課題がある。

残された深刻な課題

正直に言うと、この制度には不安もある。デンマークでは高齢者の約30%がスマホを持っていない。地方ではインフラが未整備の地域もある。「情報漏洩」や「操作不安」を感じる人も多いだろう。

対策として代理人制度や紙通知の一時許可も導入されているが、完全な包摂とは言い切れない。私の母親のことを考えても、80歳を超えてからスマホで行政手続きをするのは現実的ではない。

この問題は技術的な解決だけでは限界がある。社会全体でのサポート体制や、デジタル教育の充実が不可欠だ。

他国との比較で見えてくること

欧州主要国の動向を比較してみると、デンマークの先進性がよく分かる。

国名郵便サービス動向備考
デンマーク書状配達完全終了へDigital Post制度法制化済
ドイツ配達頻度週2回に移行中8000人規模で人員削減
イギリス一部有料化・労組対立中公共サービス再編中
スウェーデン週1~2回配達に縮小市場原理導入段階
日本紙通知が主流のままマイナンバー統合途上

デンマークでは現在、約520万人の市民がDigital Postに登録し、約29万人が免除対象となっている。この高い登録率が、郵便制度廃止を可能にしている大きな要因だ。

日本への教訓──我々は何を学ぶべきか

デンマークの事例から、日本が学ぶべきことは多い。しかし、同じ方法をそのまま導入すれば良いというものではない。

政策的に必要な対応として、以下の4点が挙げられる。

  1. マイナンバーと行政通知の完全連携
  2. 高齢者向け紙通知の明文化
  3. 郵便サービスの競争開放と多様化
  4. 自治体間でのデジタル実装支援

特に重要なのは、急激な変化ではなく段階的な移行だ。デンマークのような思い切った決断も必要だが、日本の文化や社会構造を考慮した独自のアプローチが求められる。

私が石油関係の会社でシステム移行を何度も経験してきた中で学んだのは、「技術的に可能なことと、社会的に受け入れられることは別」だということだ。デンマークは両方を同時に達成した稀有な例だが、日本では時間をかけた丁寧な移行が現実的だろう。

郵便ポストが消えた国から見える未来

デンマークの郵便制度廃止は、単なる効率化ではない。これは社会契約の再設計であり、行政と市民の関係の進化を意味している。

私たちは今、歴史的な転換点にいる。紙の時代の終焉は、次の社会の始まりでもある。デンマークの先進事例から学び取れることは多いが、同時に日本独自の道筋を見つける必要がある。

60歳になった私から見ても、この変化は避けられない。問題は、いかに全ての人が取り残されずに済むかということだ。技術の進歩に人間が合わせるのではなく、人間のための技術として活用していく。それが私たちの課題だと思う。

この記事を読んで分かったことと考えるべきこと

  • デンマークの郵便廃止は数値的根拠に基づく合理的判断であること
  • デジタル化は単なる効率化ではなく社会構造の変革であること
  • 先進事例を学びつつも、各国の文化に適した独自の方法論が必要であること
  • 技術の恩恵を全ての人が受けられる仕組み作りが最重要課題であること​​​​​​​​​​​​​​​​

#デンマーク #デジタル社会 #郵便制度廃止 #DX #行政改革 #DigitalPost #社会インフラ #未来の暮らし