骨折で搬送は「緊急性なし」? 救急車の費用徴収めぐって疑問の声も
文・桜田 泰憲(webライター)
茨城県で2024年12月2日から始まった、救急車搬送時の費用徴収制度。緊急性がないと判断されれば、選定療養費として7,700円以上を支払わされる可能性がある――この仕組みに、正直なところ戸惑いを感じている。
制度導入から数ヶ月が経ち、現場では様々な声が上がっているようだ。「救急車を呼ぶべきか迷ったら、お金がかかるかもしれない」という不安が、本当に助けが必要な人の判断を鈍らせているのではないか。
私自身、60年生きてきて、幸い救急車のお世話になったことはない。だが、もし今後そういう場面に直面したとき、この制度のせいで「呼ぶのをためらう」という事態だけは避けたい。今回の記事では、この新制度の仕組みと問題点、そして私たちが知っておくべき救急車を呼ぶ判断基準について、できるだけ分かりやすく掘り下げていく。
この記事を読んでわかること
- 茨城県で導入された救急搬送時の費用徴収制度の詳細
- 選定療養費とは何か、なぜ救急車で運ばれても請求されるのか
- 都道府県単位では全国初となる茨城県の取り組みの背景
- 制度導入3ヶ月間の検証結果(940件徴収、4.2%)と具体的な徴収事例
- 制度導入による「利用控え」のリスクと社会的影響
- 費用徴収を避けるための救急車を呼ぶべき基準と判断のポイント
茨城県で何が起きているのか――全国初の都道府県単位での導入

2024年12月2日午前8時30分、茨城県は都道府県単位では全国で初めて、救急搬送時の選定療養費徴収制度を導入した。これは、救急車で大病院(一般病床数200床以上)に運ばれた患者のうち、医師が診察後に「救急車要請時の緊急性が認められない」と判断した場合、医療機関ごとに定められた選定療養費(おおむね7,700円以上、医療機関により1,100円〜13,200円程度)を請求するというものだ。
対象となるのは県内22の大病院。つくば市だけでも筑波大学附属病院、筑波メディカルセンター病院、筑波記念病院、筑波学園病院の4施設が含まれている。その他、水戸市、日立市、土浦市、境町など県内各地の主要な医療機関が対象となっている。
制度導入の背景には、茨城県の救急医療体制の逼迫がある。令和6年における茨城県の救急搬送件数は、14万5千件を超え過去最多を更新。救急搬送の6割以上が大病院に集中していますが、うち約半数が軽症であり、救急医療現場が今後さらに逼迫すれば、真に救急医療を必要とする方の救える命が救えなくなる事態も懸念されている。2024年4月からは医師の働き方改革により時間外労働の上限規制も強化され、救急医療現場の更なる負担増が懸念されている。
茨城県医療政策課によると、「このままでは、真に救急医療を必要とする緊急性の高い患者に医療を提供できず、救える命が救えなくなる事態が懸念される」という。理屈としては理解できる。だが、問題はその運用だ。
選定療養費って何だ? 救急車なのになぜ費用を取られるのか

そもそも「選定療養費」という言葉自体、聞き慣れない人が多いだろう。私も今回調べるまでよく分かっていなかった。
選定療養費とは、本来かかりつけ医や地域の中小病院で受けるべき初期診療を、患者が自分の判断で大病院(特定機能病院や地域医療支援病院など)で受診した場合に発生する追加費用のことだ。これは国が医療機関の機能分担を進めるために設けた制度で、2016年度から紹介状なしで大病院を受診する場合に一定の負担を求めることが義務化されている。
通常、患者が自分で大病院を選んで受診した場合に請求される費用なのだが、茨城県はこれを救急搬送にも適用し始めた。つまり、救急車で運ばれても、医師が診察後に「救急車要請時の緊急性なし」と判断すれば、7,700円以上の選定療養費を請求されるわけだ。
これが実質的な救急車の「有料化」と言われる理由だ。ただし、厳密には救急車そのものが有料になったわけではない。消防本部が患者に料金を請求するのではなく、搬送先の医療機関が選定療養費を徴収する仕組みだ。この区別は重要だが、患者からすれば「救急車を呼んだら費用がかかる」という点では同じことだ。
茨城県がこの制度を導入した背景には、不要不急の救急車利用を抑制し、救急資源を効率的に使おうという狙いがある。医療現場の負担軽減も必要だろう。だが、問題はその運用だ。
「緊急性なし」の判断基準はどこにあるのか

この制度で最も引っかかるのは、「緊急性」の判断基準が不透明な点だ。
茨城県の公式説明によると、選定療養費の徴収対象は「入院の有無や軽症かどうかではなく、救急車要請時の緊急性が認められない場合」とされている。例えば、熱中症、小児の熱性けいれん、てんかん発作などの症状は、病院到着時に改善し、結果として「軽症」と診断された場合でも、救急車を呼んだ時点での緊急性が認められるため、徴収の対象とはならないという。
つまり、「結果的に軽症だった」ことではなく、「救急車を呼んだ時点で緊急性があったかどうか」が判断基準になる。これは一見合理的に見えるが、実際の運用では様々な問題が生じる可能性がある。
患者からすれば、激痛に耐えられず、自力で移動できない状況は十分「緊急」だ。だが医師の立場からは、「命に別状ない=緊急性なし」という判断になるかもしれない。この認識のギャップが、制度の最大の問題点だと私は思う。
茨城県の資料では、以下のような症状で医療機関にかかる場合は、「とりあえず救急車」ではなく、かかりつけ医や地域の診療所を通常の診療時間に受診するよう求めている。
- 軽い切り傷や擦り傷のみ
- 軽度の発熱や風邪症状
- 慢性的な症状の悪化
だが、これらの線引きは素人には難しい。「軽度」と「重度」の境界はどこにあるのか。痛みの感じ方は人それぞれだ。高齢者なら、若い人には「軽症」に見える症状でも、命に関わることがある。
制度のデメリット――利用控えが招く最悪のシナリオ

この費用徴収制度の最大のデメリットは、間違いなく「利用控え」だ。
救急車を呼ぶべきか迷ったとき、頭の中に「7,700円」という金額がちらつく。特に年金生活者や経済的に余裕がない人にとって、この金額は決して小さくない。「もう少し様子を見よう」「タクシーで行けばいいか」と判断してしまう人が出てくるのは容易に想像できる。
だが、その「様子を見る」判断が命取りになることもある。心筋梗塞や脳卒中のように、一刻を争う病気もある。骨折だって、高齢者なら寝たきりの原因になる。
実際、2025年3月27日に茨城県が発表した検証結果によると、2024年12月2日から2025年2月28日の3ヶ月間で、制度に参加する県内22病院への救急搬送は2万2,362件、このうち選定療養費を徴収したのは940件(4.2%)だった。徴収対象となったのは風邪の症状(83件)、腹痛(80件)、発熱(68件)などと診断された例が多かった。
また、近隣5県では救急搬送件数が前年同期比で約4〜9ポイント増加していた一方で、茨城県は0.5ポイント減少。制度を導入した22病院に限ると、1.6ポイント減となった。県内全体の「軽症等」の搬送は前年同期比で5.2%減少した。
県は「救急車の適正利用や救急医療のひっ迫緩和に一定の効果があった」としているが、これを素直に「成功」と評価していいのだろうか。本当に必要な人まで利用を控えていないか。徴収例を見ると、発熱や腹痛といった症状は、場合によっては重大な病気の前兆である可能性もある。こうした症状で救急車を呼んだ人が費用を徴収されたことで、今後同様の症状の人が通報をためらうリスクはないのか。その検証はまだ不十分だと感じる。
制度の狙いは「不要不急の利用を減らす」ことだが、現実には「必要な利用まで減らしてしまう」リスクがある。これは制度設計の問題と言わざるを得ない。
では、どうすればいいのか――救急車を呼ぶ基準を再確認する

こうした制度がある以上、私たち市民は自衛するしかない。救急車を呼ぶべきかどうか、ある程度の判断基準を持っておく必要がある。
ただし、ここで強調したいのは、「費用を恐れて救急車を呼ばない」という選択だけは絶対にしてはいけないということだ。命や健康に関わる事態では、費用のことは後回しでいい。まずは助けを求めることが最優先だ。
迷わず救急車を呼ぶべき症状
以下のような症状があれば、費用のことは考えず、すぐに119番通報すべきだ。
- 意識がはっきりしない、もうろうとしている
- 呼吸が苦しい、息ができない
- 激しい胸の痛み、圧迫感
- 突然の激しい頭痛
- 顔や手足の片側が動かない、しびれる
- 激しい腹痛や吐血、下血
- 高所からの転落や交通事故などの外傷
- 動けないほどの激痛
これらは命に関わる可能性が高い症状だ。こういう場合は、制度がどうこうという話ではない。迷わず救急車を呼んでほしい。
判断に迷ったら相談窓口を使う
一方で、「救急車を呼ぶほどかどうか分からない」という微妙なケースもあるだろう。そういうときは、地域の救急相談ダイヤルを活用してほしい。
茨城県では24時間365日、以下の相談窓口が利用できる。
- 15歳以上:#7119(おとなの救急電話相談)
- 15歳未満:#8000(こどもの救急電話相談)
看護師や医師が電話で症状を聞き、救急車を呼ぶべきか、自分で病院に行けばいいか、様子を見ていいか、アドバイスしてくれる。なお、救急電話相談で救急車要請を助言された場合は、原則として選定療養費は徴収されない。
判断に迷ったら、まずここに電話してみるといい。これは制度を上手く使うための重要なポイントだ。
制度の仕組みを理解しておく
もう一つ大事なのは、この制度の仕組みを正しく理解しておくことだ。
徴収されるのは「選定療養費」であり、大病院に自己選択で受診した場合の追加費用だ。救急搬送でも、最終的に緊急性が低いと判断された場合にこの費用が請求される。
逆に言えば、医師が「緊急性あり」と判断すれば、費用は請求されない。だから、明らかに重篤な症状があれば、費用の心配は不要だ。
また、以下のような場合は選定療養費の徴収対象外となる。
- 再診の場合(当該医療機関により再診と認められる受診であって、他の医療機関への紹介を受けていない場合に限る)
- 国・地方の公費負担医療制度の受給対象者の場合(一部例外あり)
- 無料低額診療事業の対象患者の場合
- HIV患者の場合(上記のうちエイズ拠点病院に限る)
- その他、国の法令等に基づき、医療機関により徴収の対象外とされている場合
自分がこれらに該当するかどうか、事前に確認しておくといいだろう。
私が思うこと――制度の見直しと現場の声を聞くべきだ

この制度、理念は分からなくもない。救急車の不適切利用を減らし、医療資源を効率的に使う。それ自体は必要なことだろう。
だが、現場で起きている事態を見ると、制度設計に問題があると言わざるを得ない。「緊急性」の判断基準が不透明で、患者と医師の認識にギャップがある。その結果、本当に助けが必要な人が救急車を呼ぶのをためらう事態が起きかねない。
茨城県は全国初の試みとして、この制度を導入した。だからこそ、現場の声をしっかり拾い、問題点を洗い出し、必要なら制度を見直すべきだ。「緊急性」の判断基準を明確にするとか、一定以上の重症度があれば免除するとか、工夫の余地はあるはずだ。
また、住民への周知も重要だ。どういう場合に費用がかかるのか、どういう症状なら迷わず呼んでいいのか、もっと分かりやすく伝える必要がある。救急電話相談(#7119)の存在も、もっと広く知られるべきだ。
何より、この制度が「利用控え」を生み、本当に助けが必要な人が救われない事態だけは避けなければならない。そのためにも、制度の運用を注視し、問題があれば声を上げ続けることが大切だと思う。
2025年3月の検証結果では、救急搬送件数が減少したことを「効果」としているが、それが本当に「不要不急の利用が減った」結果なのか、「必要な人まで控えている」結果なのか、もっと詳しい分析が必要だろう。
この記事を読んで分かったことと考えるべきこと
分かったこと
- 茨城県では2024年12月2日から、都道府県単位では全国初となる救急搬送時の選定療養費徴収制度が導入された
- 救急車で大病院に搬送され、医師が「救急車要請時の緊急性なし」と判断した場合、選定療養費(医療機関により1,100円〜13,200円程度)を請求される
- 2024年12月〜2025年2月の3ヶ月間で、22病院への救急搬送2万2,362件のうち940件(4.2%)が徴収対象となった
- 徴収対象は風邪症状、腹痛、発熱などが多かったが、結果的に軽症でも救急車要請時に緊急性があれば徴収されない
- この制度の目的は不適切な救急車利用を抑制し、救急医療体制を維持することだが、市民の「利用控え」を招くリスクが指摘されている
- 「緊急性」の判断基準は「結果的に軽症だったか」ではなく「救急車を呼んだ時点で緊急性があったか」だが、その線引きは不透明
- 命に関わる症状や動けないほどの激痛があれば、費用を気にせず迷わず救急車を呼ぶべき
- 判断に迷ったら#7119(おとなの救急電話相談)や#8000(こどもの救急電話相談)を利用できる
考えるべきこと
- 制度の理念(医療資源の効率的利用)と現実(利用控えのリスク)のギャップをどう埋めるか
- 「緊急性」の判断基準をもっと明確にし、患者と医師の認識のズレを減らす必要があるのではないか
- 費用徴収を恐れて救急車を呼ばず、重症化するリスクをどう防ぐか
- この制度を他の都道府県が導入する前に、茨城県の事例から何を学ぶべきか
- 住民への周知と、救急相談ダイヤル(#7119、#8000)の活用促進が急務ではないか
- 制度導入後の救急搬送件数減少が、本当に「適正化」の結果なのか、それとも「必要な利用まで減っている」のか、より詳しい検証が必要ではないか
制度の見直しには時間がかかるだろう。だが、その間にも救急車を呼ぶべきかどうか迷う人はいる。私たちにできるのは、正しい知識を持ち、命に関わる場面では迷わず助けを求めること。そして、おかしいと思ったら声を上げ続けることだ。
60年生きてきて思うのは、制度というのは作ったら終わりではないということだ。運用しながら改善していくものだ。茨城県のこの制度も、現場の声を反映させながら、より良いものに変えていってほしい。そう願っている。
Q&Aコーナー
Q1. 救急車を呼んだら必ず選定療養費を請求されるのですか?
A1. いいえ、必ずしも請求されるわけではありません。選定療養費が請求されるのは、医師が診察後に「救急車要請時の緊急性が認められない」と判断した場合のみです。例えば、熱中症、小児の熱性けいれん、てんかん発作などで救急車を呼び、病院到着時に症状が改善して結果的に「軽症」と診断された場合でも、救急車を呼んだ時点での緊急性が認められれば、費用は請求されません。重要なのは「結果」ではなく「救急車を呼んだ時点での緊急性」です。
Q2. 救急車を呼ぶべきか判断に迷ったときはどうすればいいですか?
A2. 茨城県では24時間365日対応の救急電話相談窓口があります。15歳以上の方は#7119(おとなの救急電話相談)、15歳未満のお子さんは#8000(こどもの救急電話相談)に電話してください。看護師や医師が症状を聞いて、救急車を呼ぶべきか、自分で病院に行けばいいか、様子を見ていいかをアドバイスしてくれます。また、救急電話相談で救急車要請を助言された場合は、原則として選定療養費は徴収されませんので、迷ったらまず相談することをお勧めします。
Q3. どのような症状なら迷わず救急車を呼んでいいですか?
A3. 以下のような症状がある場合は、費用のことは考えず、すぐに119番通報してください:意識がはっきりしない、呼吸が苦しい・息ができない、激しい胸の痛みや圧迫感、突然の激しい頭痛、顔や手足の片側が動かない・しびれる、激しい腹痛や吐血・下血、高所からの転落や交通事故などの外傷、動けないほどの激痛。これらは命に関わる可能性が高い症状です。こういった緊急時には、制度のことは一切気にせず、迷わず救急車を呼ぶことが最優先です。
Q4. 選定療養費が徴収されない例外はありますか?
A4. はい、以下の場合は選定療養費の徴収対象外となります:再診の場合(当該医療機関により再診と認められる受診であって、他の医療機関への紹介を受けていない場合に限る)、国・地方の公費負担医療制度の受給対象者の場合(一部例外あり)、無料低額診療事業の対象患者の場合、HIV患者の場合(エイズ拠点病院に限る)、その他国の法令等に基づき徴収の対象外とされている場合です。ご自身がこれらに該当するか不明な場合は、事前に確認しておくとよいでしょう。
Q5. この制度は救急車の有料化ですか?
A5. いいえ、救急車の有料化ではありません。選定療養費は、すでにある制度(紹介状なしで大病院を受診した場合にかかる追加料金)の運用を見直し、救急車で搬送された方のうち、救急車要請時の緊急性が認められない場合に、医療機関が徴収するものです。消防本部が患者に料金を請求するのではなく、搬送先の医療機関が選定療養費を徴収する仕組みです。ただし、患者の立場からすれば「救急車を呼んだら費用がかかる」という点では実質的に同じと感じるかもしれません。
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文・桜田 泰憲
webライター。医療・社会問題を中心に、市民目線での鋭い分析と平易な解説に定評がある。


